川口信金(理事長・飯田雅弘氏)は10月27日、今年8月19日に逝去した木村幹雄 理事顧問(前理事長・会長)の「お別れの会」をさいたま市のロイヤルパインズホテル浦和で開いた。

川口市出身の新藤義孝・衆議院議員、奥ノ木信夫・川口市長。信金業界から平松廣司・全信協会長、柴田弘之・信金中金理事長ほか関信協管内、東信協管内の信金会長・理事長ら多数が参列した。約500人が故人との別れを惜しんだ。

祭壇には故人が生前に親しんだゴルフのグリーンのデザインが施された。開式にあたり飯田理事長が挨拶をした。

【飯田理事長の挨拶】

本日は、ご多用中にもかかわらず、木村幹雄 理事顧問の「お別れの会」にかくも大勢の方にご来場を賜り、誠にありがとうございます。参列いただいている皆様は、故人と縁のある方が多く、故人がゴルフ好き、球技など自らプレーし、ラグビー観戦なども大好きなスポーツマンであるイメージを持たれている方が多いのではないかと思います。
私も金庫生活を通じて長い間故人の姿を見てまいりましたが、金庫内の職場におきましても、部下、職員誰からも慕われ、またお取引先のお客様からは揺るぎない信頼を得て頼りにされているという、まさしく信用金庫のキャッチフレーズである「Face to Face」を地でいくような素晴らしい方でした。
そのような故人が体調を崩されたと思われる昨年6月の会長就任以降からは、通院や検査入院が多くなり、年明け頃からは少しお痩せになったかなと思いましたが、特に本人も病気については多くを語らずにおりましたので、こちらからも病気についてはあえて詳しく聞くことを控えておりました。
ところが、今年の5、6月にかけて短期間での入院治療予定であったものが、6月初旬に「医者にも少し加療が必要だと言われたので、今しばらく会社を休むようになった」との連絡が入り、またその数日後には現在の会長職を辞任し、非常勤の理事として残してもらえないだろうかと。私からすれば驚くべき連絡があったことから、我々役員も初めて事の重大性に気が付き慌てて対応し、総代会の当日には席上でその旨を諮りました。
その後、治療の効果があったのか、1カ月経過した7月29日には「おかげさまで退院しましたが、入院が長期間になったためリハビリが必要となるようです」と、「もうしばらくご心配、ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」という喜ばしい内容のLINEが届きました。大感嘆の声が思わず私の口からこぼれ、「退院おめでとうございます。今年の夏は例年より大変暑いです。健康な人でさえ夏バテ気味で相当苦労しています。どうぞ慌てずにリハビリをしながらゆっくり静養してください。退院できて本当によかったです。嬉しいです」と返事を返しました。本人からはすぐに「ありがとうございます」と返事が返ってきました。しかし、残念ながら私と故人とはこのやり取りが生涯最後のものとなりました。
それから10日ほど過ぎた忘れもしない8月19日の21時30分、奥様である智子様からいただく初めての連絡が「夜分遅くに恐れ入ります。先程、主人の木村幹雄が亡くなりました。このような形でお伝えして大変申し訳ありませんが、取り急ぎお知らせします。まだ亡くなった感じが把握できておらず、都内から向かっているところでございます。詳細は後日にお知らせします。どうぞよろしくお願いいたします」という内容でした。つい最近まで勤務されていたはずなのに、急逝されてしまうとは思いもよらない出来事で、私たち役職員は大きな衝撃を受け、悲しみに打ちひしがれました。
事後とはなりますが、故人は昨年血尿が出たことから病院で診察を受けたところ、膀胱がんの疑いがあるとの診断を受け、その後、検査入院や治療のための入院を繰り返していましたが、その後転移していることが確認され、抗がん剤治療で根治を目指しましたが、望み叶わず帰らぬ人となってしまいました。
故人は昭和52年4月に川口信用金庫に入庫され、以来、本店営業部長など営業店長を務め、以後、常務理事、専務理事、理事長、会長、理事顧問と通算15年余り金庫役員として金庫に携わりました。特に昨年3月1日に迎えた金庫創立100周年に1兆円金庫の仲間入りを果たすことに執念を燃やし、見事に達成、金庫の存在感を内外に示されました。
また、業界内におきましても、埼玉県信用金庫協会会長、関東信用金庫協会代表理事副会長、全国信用金庫協会理事、信金中央金庫理事、しんきん共同センター理事、信金カード取締役、全国信栄懇話会参与、関東信栄懇話会副会長、全国信用金庫同友会幹事等々、様々な分野の役職を歴任し、信用金庫業界の発展に寄与しました。
さらに地域貢献の意欲も強く、川口商工会議所議員、川口警察署管内金融機関防犯協力会会長、川口市暴力団追放推進協議会理事、川口警察官友の会副会長、川口税務署管内資産税協議会副会長、川口工業健康保険組合理事、川口都市開発株式会社取締役等、各種団体の役員を務め、地域社会の経済、文化、スポーツと多方面にわたりその発展に貢献いたしました。このような背景もあり、8月下旬に全信協の石田常務様から、このように国家また公共に対しての功労者が亡くなった場合、その生前の最後の日、すなわち死亡日に遡り、国が勲章を授けるという死亡叙位の手続きについてご指導を頂きました。
9月に石破内閣の閣議決定を経て、去る10月9日水曜日には関東財務局より梅野理財部長様ら3名様にご来庫いただき、私と専務理事が立会人となって、故人の奥様である木村智子様に死亡叙位の伝達式が執り行われました。
本日、隣接したところに準備させて頂いたお清めの会場に飾らせていただいておりますので、是非ご覧になってからお帰りになることをお願い申し上げます。
私たち川口信用金庫職員一同は、このように常に地域社会発展に力を尽くすという故人の遺志をしっかり受け継ぎ、これからも地域の発展と金庫役職員の成長を目指して参る所存ですので、本日ご列席の皆様には引き続き温かいご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。
結びに、故人が生前に皆様から賜りました数々のご厚情、ご高配に対し、心から感謝申し上げ、皆様へのお礼の挨拶とさせていただきます。本日は誠にありがとうございました。

【木村幹雄氏・略歴】

昭和52年 明治大学経営学部卒業
昭和52年 川口信用金庫入庫、蒲生支店配属
平成17年 本店営業部長
平成22年 理事就任
平成26年 常務理事就任
平成29年 専務理事就任
平成30年 理事長就任
令和6年 会長就任
令和7年 顧問就任
令和7年8月19日 叙位「正六位」
挨拶をする飯田理事長挨拶をする飯田理事長